子供がいる幸せ

妊娠・育児日記

お久しぶりです。子供が産まれるのに向けて、日々の思いを書き記して行こうと思って始めたブログでしたが、あまりにも忙しく更新できずにいました。既に生まれて2カ月半ですが、記憶が薄れないうちに書き記しておこうと思います。

里帰り

まず里帰りでしたが、我が家に限って言えば帰って正解でした。妊娠中の妻はいつもいらいらしていて、精神的に不安定でした特につらかったのは、妻が子供のためには自分がしっかりしないと、周囲の人の助けを借りず一人で何でもしないといけない、という風に考えているんだろうなと感じたことです。私は勿論妻の味方なのですが、なぜが妊娠中の妻を邪魔する存在であるかのように扱われることがありました。これがとにかくつらかったです。妻のためを思っての発言、例えば『これは僕がするから休んだら』という発言が、妻にとっては『そんなに私は疲れて見えるの?』『妊婦だからと言って普段通り出来るんだよ』という反感を誘発してしまうことがありました。一方で配慮しないのはそれはそれで『こんなに大変なのに!』ということになってしまい、家事をするのもダメ、しないのもダメ、という状況になってしまいました。里帰りはそんな妻と距離を取り、夫である私も、妻も精神的にリセットする良い機会になったと思います。

里帰りしてからも、はじめのうちは義母と積極的に会話もせず、攻撃的だったようです。やはり『自分がしっかりしないと』という思いが強かったのだと思います。ですが、実家パワーは偉大なもので、しばらく過ごすうちに親子間の会話が増え、だんだんと穏やかになっていきました。妊婦健診の時に義実家を訪れていましたが、行く度に表情が穏やかになる妻を見て、安心したのを覚えています。

出産

出産は急でした。妊婦健診で子宮口が開大してきていると言われ、義実家への滞在を伸ばすか迷ったのですが、担当医にすぐとは言われなかったこと、陣痛もまだないことから、一度仙台に帰ることにしました。私は19時の新幹線で仙台に帰りましたが、その5時間後程、午前1時に陣痛が始まったから病院に行くと義母より連絡を貰いました。急いで準備をして、車で仙台を発ち、群馬へ向かいました。コロナの影響か、立ち合いは1人だけで、義母が妻と一緒にいてくれました。初産でしたが、子宮口の開大が早かったようで、看護師さんから来院しての立ち合いは諦め、途中のサービスエリアで停車してビデオ通話での立会をしてはどうかと提案されました。細かい状況は分かりませんでしたが、とにかく言われるがままにサービスエリアに停車して、LINEのビデオ通話を繋ぎました。妻は会話するのがやっとで、陣痛のために苦悶の声を上げていました。こんなことになるなら群馬に滞在すれば良かったと悔やみ、本当に大事な時に妻の側にいることが出来ない自分を殴りたい思いでした。

しばらくビデオ通話していましたが、赤ちゃんの頭がなかなか出てこず、陣痛が弱くなっているとのことでした。しばらく時間がかかりそうとのことだったので、私は通話をつないだまま、車を進めることにしました。しばらく車を走らせ、病院まで1時間程度の距離まで来た頃、陣痛がなかなか強くならないので、陣痛促進剤を使うと担当医から説明がありました。子宮収縮が強くなりすぎて、破裂する可能性があること、それを電話口で聞きながら、またしてもその場にいないことを悔やみました。陣痛が続き痛みに耐えながら、薬の説明を聞く妻はどれほど心細かったろうと思います。同意書にサインし、陣痛促進薬の滴下が始まりました。

私はというと、それから車を走らせ、病院に到着し、急いで病室へ行きました。まだ出産には至っておらず、いきんでいるところでした。義母と看護師さんに挨拶し、妻の手を握りました。顔は白く、かなり疲弊していることが分かりました。本来は立ち合いは1人なのですが、特別に義母と私の2人が立ち会うことを許してくれました。陣痛促進剤の影響があってか、陣痛の強さが徐々に強くなり、私がついてから1時間半ほどで出産になりました。事前に言われた通り、臍帯巻絡があり、しかも4重でした。子宮口の開大が早かったのに、なかなか児頭が出てこなかったのは、臍帯巻絡に引っ張られて出てこれなかったからのようです。看護師さんがすぐに巻絡を解いてくれて、その後少し遅れて泣き始めました。最初はチアノーゼがあったのですが、すぐにチアノーゼは無くなりました。産まれた時は臍帯巻絡やチアノーゼへの不安が大きかったのですが、力強く啼き始め、血色が良くなってやっとじわじわと喜びが湧き上がってきました。

産後

とにかく眠れないのがきつかったです。それは2カ月経った今も続いていますが、出産後すぐは本当に大変でした。授乳回数、尿やうんちの回数が多く、昼夜のリズムもないので、1時間くらいずつ途切れ途切れに眠るような感じです。私も大変でしたが、妻はもっと大変だったと思います。この産後直後の大変な時期を乗り越えるのにも、義実家のサポートは必要不可欠でした。

2か月目になって思うこと

産後は本当に嵐のような感じで、睡眠不足と疲労、どうして泣いているのかが分からないストレス等々で時が経つのがあっという間でした。日々を忙しく過ごしつつ、2週間健診、1カ月検診を超え、産後5週に里帰りから仙台に帰ってきました。が、帰ってきてからも大変でした。実家のサポートが無くなったこと、環境の変化により妻が不安定になったことで、波乱がありました。

それでも日々過ごすうちに生活は落ち着いてきました。赤ちゃんにも昼夜のリズムができ、夜中は5.6時間まとまって眠ってくれるようになりました。うんちが上手く出せず泣くことが多かったのですが、排泄が上手になり、泣く回数が減ってきました。

私は大学院生なので、産休はなく、忙しい間は研究を休んでいたのですが、もし産休を取るなら出産直後か、里帰りから帰ってくるときだったかなと思います。

色んなことがありましたが、子供を見ていると成長が早くて楽しいですね。大人とは時間の密度が全然違うことを実感します。これから先もきっと大変なことは沢山あると思いますが、夫婦で仲良く、子供がのびのびと成長出来るように頑張っていきたいと思います。

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