ヒト由来の細胞と倫理的問題

医学情報

iPS細胞(人工多能性幹細胞)は、再生医療や臓器移植の分野で大きな期待を集めています。山中伸弥教授が2012年のノーベル賞を受賞したとき、私の周りでもiPS細胞の話題で持ちきりになりました。iPS細胞は、成人の細胞を再プログラムして多能性を持たせたもので、理論的にはさまざまな組織や臓器に分化させることができます。これにより、臓器移植のドナー不足を解消し、手足の再生から、iPS細胞を利用した病気モデルの作成や新薬の開発・毒性試験が可能になるとされています。

一方で、iPS細胞の研究や応用には倫理的な課題も存在します。ヒトのクローンが作成することが可能となりうること、iPS細胞を用いて作製された臓器や組織の生命の尊厳をどのように守るか、iPS細胞由来の臓器や組織が長期的にどのような影響を与えるか解明されていないことなどです。

医学の発展と倫理の問題は常に隣り合わせです。なぜなら出来なかったことが出来るようになる時には必ず、それをしても良いか、ということを考えないといけないからです。今回、大学院の授業で興味深いものがあったので紹介したいと思います。

最初のヒト由来不死化細胞

人類史で最初のヒト由来不死化細胞が何かご存じでしょうか。HeLa細胞(ヒーラ)と呼ばれる細胞株です。HeLa細胞の起源は、1951年にジョンズ・ホプキンス大学病院でヘンリエッタ・ラックスから切除された癌性腫瘍から始まります。この細胞は、ジョージ・オットー・ゲイ博士によって培養され、世界で最初のヒト由来の不死化細胞株として確立されました。大学の講義でヒト由来の細胞株について学んだ時、私はHeLa細胞の存在とその経緯について深い衝撃を受けました。

まず、HeLa細胞の起源となったヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)の生涯について触れたいと思います。ヘンリエッタ・ラックスは、1920年8月1日にバージニア州ロアノークで生まれました。母イライザと父ジョン・ランドル・プレザント1世の間に生まれました。イライザは1924年に末子を出産した際に亡くなり、父ジョンは鉄道員として働きながら、母方の親戚に子供たちを預けて育てました。
ヘンリエッタは、実のいとこであったデヴィッド・ラックス1世とバージニア州ハリファックス郡で結婚しました。1943年、北部で仕事を探すために夫を説得し、子供たちを連れて北部に移住しました。デヴィッドはメリーランド州スパローズ・ポイントの造船所で仕事を見つけ、ボルチモア郡ダンドークのターナーズ・ステーションに家を構えました。
彼らの間には5人の子供が生まれ、末子ジョセフ・ラックスは1950年11月にジョンズ・ホプキンズ病院で生まれました。その数か月後、ヘンリエッタは子宮頸癌と診断されます。その際に治療の前に彼女の知らないうちに細胞が研究のために取り出されました。当時の標準治療であるラジウム・チューブの挿入とX線治療を受けましたが、容態は悪化し、1951年10月4日に31歳で亡くなりました。
ヘンリエッタから取り出された細胞はHeLa細胞として知られるようになり、これまでにない特性を持っていました。細胞は生き続け、成長し続けることができたのです。世界で初のヒト由来の不死化細胞株であり、医学生物学の研究において現代にいたるまで重要な役割を果たしてきました。

これは私がWikipediaを見て、要約したものですが、こんなにも詳細に個人の情報がまとめられていることに驚きましたし、何よりも本人に無断で細胞が培養・増殖され、実験や商業的に扱われているということに対して、おぞましさや気持ち悪さを覚えました。

ヒト由来って誰由来なの?

HeLa細胞の経緯を知ると同時に、それではiPSを含めたヒト由来の細胞は誰に由来するのか知りたくなりました。ヒト由来の細胞というと、最も有名なのはiPS細胞だと思いますが、その以前にはES細胞が将来の再生医療を担うとして注目を集めていました。それではES細胞やiPS細胞とはどんな細胞で、何に由来するのでしょうか。

生物の細胞の働きは固有であり、例えば皮膚の細胞は皮膚の機能しかないですし、胃の細胞は胃の機能しか持たないわけです。これらの細胞は受精卵から人間に発達していく段階で分化(機能を獲得)していくと同時に、他の種類の細胞へ変化する機能を失っていきます。どんな細胞にも変化することが出来る、分化する前の状態の細胞を「幹細胞」といいます。ES細胞は胚性幹細胞(Embryonic Stem Cells)のことで、初期の受精卵から採取されます。受精卵はまさにこれから分化し、様々な臓器になる細胞群です。ES細胞からの分化を制御することで、目的とする臓器を作るのがES細胞の最大の展望でした。一方でiPS細胞はES細胞のように『まだ分化していない』細胞を用いるのではなく、『既に分化した細胞を再び幹細胞にした』ものになります。皮膚は皮膚の機能しかもたないはずが、皮膚細胞から胃や腸などの他の臓器を作ることが可能となったわけです。これの何がすごいかというと、ES細胞は受精卵から作る必要があったので、既にこの世に存在する人のES細胞は作れなかったのですが、iPS細胞は『誰からでも』『あなたの』iPS細胞が作れるのです。自分の細胞由来の臓器を作るので、拒絶のリスクや、心理的なハードルが小さいとされ、非常に革新的でした。

つまり、ES細胞は『誰かの受精卵』由来、iPS細胞は『あなたの細胞』由来ということです。

ヒト由来細胞の倫理的課題

それではヒト由来の細胞を扱うにあたり、何を考慮するべきでしょうか。沢山の課題があるのですが、私が個人的に配慮すべきと思う課題を2つ上げます。

遺伝情報が家族、民族レベルの影響を与えうること

細胞が誰のものか?ということを考えた時、細胞を提供した人のものであるのは間違いありません。しかし、生物は「遺伝子」を持つので、誰かの遺伝子を解析することはその兄弟や子供の遺伝子の遺伝情報も明らかにするということです。小さな集落や特定の人種においては、共通する遺伝子を持つ人々が多く存在します。これは、遺伝情報が差別の原因となるリスクを含んでいます。このような倫理的課題を考慮せずに研究を進めることは、社会全体に悪影響を及ぼす可能性があるため、慎重な対応が求められます。

どこまでをヒトとして扱うか

ヒトを作ることは禁止されています。が、近い将来技術的にはヒトを作ることが可能になると思います。SF作品で見るように、臓器を作るためだけの人間なんていうのが誕生するかもしれません。個体として完成されたヒトを作るところまでいかなくとも、培養された細胞や臓器を物として扱うのか、ヒトとして扱うのかは議論すべき内容だと思います。例えば将来、脳梗塞の患者のために、脳神経のiPS細胞が作られたとしたら、その脳はヒトとして扱わなくても良いのでしょうか。

まとめ

世の中を見ていると、技術の発展に遅れて法律や倫理が整備されていくように思います。世の中は『出来るようになってから』『してもいいのか?』を考えるということですね。

倫理は正解のない分野です。禁忌とされていることも、時代や所属する集団が変われば許されることもあります。SF作品でまだ見ぬ技術を見た時、もし本当にその技術が世の中にあったら、それが社会にどんな影響を与えるのか考えてみるのも楽しいかもしれませんね。

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